『有田と週刊プロレスと』ファンブログ

amazon primeで配信中の有田と週刊プロレスとを応援するブログです

シーズン1 No10

100年に一人の逸材、棚橋弘至

週プロ2006年8月2日号 No1325

ゲスト アンガールズ田中

表紙は高山さんが右手を上げている。高山脳梗塞からの復活!

しかしこの号で取り上げるべき男、棚橋弘至

新日本プロレスの歴史は、シーズン1No1参照。

 

プロレス技その19 フランケンシュタイナー

 

格闘技ブームにプロレスファンとは何なのか?と疑問を持ち始め、結果的にファンが離れて行く。

オカダカズチカについてはNo3参照。

 

棚橋とは、ファン離れが進んだ新日低迷時代にエースとして活躍した。

棚橋の必殺技は、ハイフライフロー。派手な技で盛り上がる人と、格闘技と比べて疑問を持つ人に別れる。

 

【教訓】

人をいじる時には

相手へのリスペクトの心を

忘れてはならない

シーズン1 No9

未だ真相は闇の中。セメントマッチ前田vsアンドレ

週プロ1986年5月20日号 No144

ゲスト アンガールズ田中

表紙は「5対5UWF勝つ!」

新日にUWFが帰って来て対抗戦で勝った時の週プロ。

 

アンガ田中はUWFを知らなかったので、猪木、馬場の時代から説明する。

新日から2軍団体として前田UWFが派生する。猪木もタイガーマスクUWFに行くと言う話があったが頓挫する。

UWFの掲げたプロレスは、ローブに振ったら帰ってくるような一部の人に馬鹿にされないような関節技、キック等を中心とした格闘プロレスを行なった。

全日馬場は、前田と高田だけなら受け入れると打診したが、前田は義理堅いので丁重に断った。

有田はコンビでオーディションを受けたあとピンならと言われても、UWF前田から学んた教訓から断っていたが、田中はピンでも仕事を受けて来たと語る(笑)

新日に戻ったUWFはロープにふられても捕まって戻って来い。プロレス技もかわしたりする。

ある時、猪木が反則の急所キックをしてチョークスリーパーで藤原を倒した。

それを見た前田の発言「アントニオ猪木だったら何をしても許されるのか」と言って猪木のあごを蹴る(有名な事件)

猪木はしばらく前田戦をしなくなる。

前田はプロレスを変えようと格闘路線に進むが、相手選手をケガさせてしまうので、新日のなかで「前田は危ない」との声が出るようになる。

 

途中で有田が気づいた、この週プロに隠された有名な事件があった。

外国人選手の中でも前田に反対を示す選手が出てきた時、三重県で前田vsアンドレ戦、テレビ中継のある試合が組まれる。

この時のアンドレは冷めた状態、前田の攻撃に無反応。アンドレは上に乗るだけ、ロープに逃げて離れるような不穏試合。前田はやって良いのか?とセコンドに行ったあと膝を前からけるような危険な技を出す。結果は、不穏な空気の中、無効試合となった。

プロレス史の中で最も不穏な試合として後にセメントマッチと語り継がれる事になる。

 

study!前田対アンドレ戦はセメントマッチの代表例として語られる事が多いが真相は不明とされている

 

有田先生、オススメの号。この時は後半の記事として扱われているのが特徴。

 

有田からなんと2つの教訓が!

【教訓1】

郷に入れば郷に従え

 

【教訓2】

自分の信念を貫いていれば

生き残っていける

 

田中はテレビ局に言われたとおりの仕事をこれからもやる。学生時代からずっとそういう道を選んできた(笑)

シーズン1 No8

プロレス珍事件。藤浪vs木村健悟 まさかの無効試合

週プロ1987年1月20日号 No183

ゲスト チュートリアル福田

表紙は鶴田、藤浪、長州、前田が握手している写真。

いつも一回で終わらない事件なのだが、今回は小さい事件。

 

まずは、藤浪とは?から話は始まる。

藤浪はアメリカのWWAジュニアヘビー級のチャンピオンになり、スターとしてかえってきた。

 

study!かませ犬発言 1982年タッグを組んでいた先輩格の藤浪に対し、試合中に反旗を翻し後の藤浪との抗争に発展していった。

 

study!長州力 アマレスでオリンピック出場

藤浪辰巳 中学卒業後、日本プロレスで付き人

 

study!藤浪辰巳vs長州力 両者のライバル関係は常に注目を浴び、その一連の抗争は「名勝負数え唄」と称され人気を博した

 

前田の名言「無人島に行ったら仲間がいた」

藤浪は前田の技を全部受け、両者ノックアウトの試合をした。

 

study!「お前、平田だろ!」事件 1985年5月試合後になぜか藤浪がマイクでストロングマシンの正体を暴露する発言をした

 

藤浪という選手と対戦することにより多くの選手が羽ばたいていく。受けの美学。

 

長州力、前田のあと藤浪に喧嘩を売る選手、それが木村健悟。今まで藤浪とタッグパートナーだったのだが。木村はベニーユキーデの元に格闘技を学ぶ。海外帰りの木村がパンチの構えをするとレフリーから反則だと止められる。木村は負けたら日本を離れる覚悟で藤浪との対戦を希望し、ついに実現する。

試合の結果は、まさかの木村の勝利。

しかし、木村のサポーターからハサミが!

 

study!レフェリーが木村のサポーターに入っていた凶器を発券し判定は覆り、ノーコンテストになった

後日、藤浪vs木村 後楽園ホールでワンマッチ興行。結果は、藤浪の勝利。この後、木村はエースから遠ざかり、後に品川区会議員になる。

 

プロレス技その16 毒霧

 

【教訓】

機は熟したと思っても

誰かが開けてくれるまで

待つべきである

シーズン1 No7

天龍SWSと週プロの戦い

週プロ1990年5月15日号 No377

ゲスト チュートリアル福田

表紙の上には「メガネスーパーが殴りこみ」

天龍、全日本離脱の大見出しが!

さらにプロはお金である事が証明されたとの辛辣な言葉が続く

 

全日から維新軍が新日に戻り、鶴龍対決をしていた時代。

 

study!フットルース 川田利明サムスン冬木によるタッグチーム 両者共に天龍同盟に所属していた

 

天龍は何故かフットルースを全日正規軍に戻した。天龍は一人ぼっちに・・・

 

study!SWS 1990年メガネスーパーがスポンサーとなって創設された団体

豊富な資金緑茶で各団体から選手を引き抜いた

 

SWSは最初武藤をエースにしようとしていたが失敗。既存のスターを引き抜く作戦で天龍が抜擢された。

天龍も悩んだが、鶴龍対決にも区切りが付き、誰も引き連れて行かない条件でSWS行きを決意した。

しかしSWSには大きな敵が・・・

 

プロレス技その13 ジャイアント・スイング

 

大きな的なとは、新日本でも全日本でも無く、週刊プロレス。編集長のターザン山本は約2〜3年に渡る紙面でのバッシングが始まる。週刊プロレスは当時カリスマ雑誌だったのでファンもSWSから離れて行く。後に、SWSの田中社長から週刊プロレスに取材拒否、それを週プロは表紙の見出しにする。

こんな事が続き遂に、

 

study!SWSは1990年の発足以来 約2年で解散となった

 

当時の週プロは60万部売れて絶大な影響力があった。

天龍はSWSを抜け、WARを立ち上げ新日との対抗戦を行なった。最後は神取とも試合をして神取の顔面を腫れさせた。

SWSの田中社長は大のプロレス好きだったがこの時、プロレスから全撤退した。

当時若手の橋本だけはこの一件(プロレスの村社会)には反対の発言をしていた。

 

【教訓】

人生いつ下火になるかわからない

金持ちとケンカするな

 

シーズン1 No6

G1史上初ケニーオメガの偉業

週プロ2016年8月31日号 No1864

ゲスト チュートリアル福田

表紙はケニー・オメガ「これぞG1奇跡の夏」

 

study!G1クライマックス 新日本プロレスが主催するシングルマッチのリーグ戦

第1回は1991年 蝶野正洋が優勝した

 

study!蝶野は第1,第2,第4回と優勝し「夏男」と言われた

 

study!ヒールターン それまで善玉、正統派だったレスラーが悪役、悪党派に転向すること

 

当時の蝶野は、今の内藤のヒールターンと重なる。

 

study!ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン 新日本プロレスにて活動するプロレスラーのユニット。主なメンバー内藤哲也、EVIL、BUSHI

 

今回のG1クライマックスは第26回。

記録的な大会、なぜなら外国人が優勝したのは初めて

決め技は「片翼の天使

新日本は正規軍(棚橋)、CHAOS(オカダ)、ロスインゴ(内藤)、バレットクラブ(ケニー・オメガ

バレットクラブはプリンスデビットがヒールターンをして作った。何故かグッズが世界でバカ売れした(ピコ太郎のはしり?)

 

プロレス技その11 STF

蝶野が使った、足を決めながら顔もキメる。

 

プリンスデビットはWWEに行ってしまう。その次にAJスタイルズ。AJもWWEに行ってしまう。三代目リーダーとなったのがケニー・オメガ。タッグパートナーは飯伏幸太

G1準決勝が内藤vsケニー・オメガ、まさかのケニー・オメガが勝ち、もう一つの準決勝が棚橋vsオカダ引き分け。3位の後藤が決勝戦に繰り上がった。

勝戦で勝ったケニー・オメガは、英語で喋りだしたので観客は静まると思っていたら、両国の観客からコメントが長いとの声が、なんとその後、日本語ペラペラでコメント。観客は大歓声のケニー・オメガコール。これに対して「黙れ!俺は許さないぞ、みんなオカダ。応援しないと!俺は日本で活動する。そっち(WWE)には行かないぞ」観客はさらに盛り上がった。

 

プロレス技その12 ボマイェ

 

【教訓】

とことんクソを蒔き散らかしてもいい

その後 空気を読んだ一言を言えばいい

シーズン1 No5

「邪道」大仁田厚を大好評の福ちゃんを迎えて語る

週プロ1990年8月21日号 No392

ゲスト チュートリアル福田

表紙は、派手に電流爆破しているターザン後藤

90年代はプロレスの方向性が多様化し混沌とした時代だった。

しゃべくり007より喋る福田に有田の調子も上がって行く!

この時代に、別の方向に飛び抜けた団体ができる。

流血、胡散臭い、イタイイタイこれを中心にしたFMWを大仁田が作った。王道の逆、「邪道」をキャッチフレーズにした。

 

プロレス技その9 シューティングスタープレス

 

汐留で行われた、ノーローブ、有刺鉄線、電流爆破マッチ。主に男性人気だけでやっていた。

 

study!FMWはその独自路線が一大センセーションを巻き起こし知名度と観客動員数を上げていった

 

プロレス技その10 リバースネックブリーカー

 

【教訓】

どんな道であれ

突き詰めれば

大成することができる

シーズン1 No4

宿命の「鶴龍対決」第1戦

週プロ1987年9月15日号 No222

ゲスト ピース綾部

表紙は「天龍、鶴田に勝つ!」8.31日本武道館歴史に残る重要な戦い。

 

今回は全日本プロレスの話。

G馬場の奥さんは「元子」さん

G馬場の絶対的後継者&エースはJ鶴田

G馬場が退いた後の鶴田のタッグパートナーは天龍源一郎になる。

 

study!1984年から長州力率いる維新軍が全日本に参戦(アニマル浜口小林邦昭谷津嘉章キラー・カーンなど)

 

この時の猪木語録「ハッハッハ、良い大掃除が出来ました」

 

プロレス技その7 空手チョップ

力道山から始まり天龍チョップ・・と受け継がれていく。

 

全日最高潮の時、日テレはゴールデンに放送するようになった

 

study!「全日本プロレス中継」土曜19時〜放送(1985年〜88年)現在は志村どうぶつ園

 

study!イデオロギーの意味:「観念形態」「意識体系」

 

ジャンボ鶴田は「サラリーマンレスラー」と言われた。長州力が殴り込んで来たが、怒る事も無かった。この時、長州に噛み付いたのが天龍。現在、天龍と長州が未だに仲が良いのは戦友になったから、二人とも滑舌が悪いのが共通ポイント!

 

study!長州力は1987年3年ぶりに新日本プロレスな復帰した

 

長州がいなくなった後の、伝説の8.31への流れとなる。ライバルが居なくなって全日のピンチになったので天龍は鶴田を「風呂に浸かったヘチマ」など挑発的な発言をするようになる。天龍は馬場に頼んで、天龍同盟を作る事に許可を貰い、さらに鶴田を挑発するようになる。

 

study!天龍同盟 リング外でも対立構造を徹底し、移動も全日本隊と共にせず電車などを調べて移動していた

 

その様子を見ていた馬場は、いきなり出し惜しみせず、8.31日本武道館終戦で直接対決のカードを組む。結果はリングアウトで鶴田が負ける。

 

study!鶴龍対決(1987年〜1990年)全日本を再び活性化させた対決(全7戦)鶴田が4勝3敗

 

有田の生涯のベストバウトは鶴龍対決!

 

プロレス技その8 ドラゴン・スープレックス

藤浪は相手が受け身を取れないのでしばらく封印していた時期もあった

 

【教訓】

この世に「この人じゃないといけない」

ということは絶対にない

安心してはいけないのだ