『有田と週刊プロレスと』ファンブログ

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シーズン1 No9

未だ真相は闇の中。セメントマッチ前田vsアンドレ

週プロ1986年5月20日号 No144

ゲスト アンガールズ田中

表紙は「5対5UWF勝つ!」

新日にUWFが帰って来て対抗戦で勝った時の週プロ。

 

アンガ田中はUWFを知らなかったので、猪木、馬場の時代から説明する。

新日から2軍団体として前田UWFが派生する。猪木もタイガーマスクUWFに行くと言う話があったが頓挫する。

UWFの掲げたプロレスは、ローブに振ったら帰ってくるような一部の人に馬鹿にされないような関節技、キック等を中心とした格闘プロレスを行なった。

全日馬場は、前田と高田だけなら受け入れると打診したが、前田は義理堅いので丁重に断った。

有田はコンビでオーディションを受けたあとピンならと言われても、UWF前田から学んた教訓から断っていたが、田中はピンでも仕事を受けて来たと語る(笑)

新日に戻ったUWFはロープにふられても捕まって戻って来い。プロレス技もかわしたりする。

ある時、猪木が反則の急所キックをしてチョークスリーパーで藤原を倒した。

それを見た前田の発言「アントニオ猪木だったら何をしても許されるのか」と言って猪木のあごを蹴る(有名な事件)

猪木はしばらく前田戦をしなくなる。

前田はプロレスを変えようと格闘路線に進むが、相手選手をケガさせてしまうので、新日のなかで「前田は危ない」との声が出るようになる。

 

途中で有田が気づいた、この週プロに隠された有名な事件があった。

外国人選手の中でも前田に反対を示す選手が出てきた時、三重県で前田vsアンドレ戦、テレビ中継のある試合が組まれる。

この時のアンドレは冷めた状態、前田の攻撃に無反応。アンドレは上に乗るだけ、ロープに逃げて離れるような不穏試合。前田はやって良いのか?とセコンドに行ったあと膝を前からけるような危険な技を出す。結果は、不穏な空気の中、無効試合となった。

プロレス史の中で最も不穏な試合として後にセメントマッチと語り継がれる事になる。

 

study!前田対アンドレ戦はセメントマッチの代表例として語られる事が多いが真相は不明とされている

 

有田先生、オススメの号。この時は後半の記事として扱われているのが特徴。

 

有田からなんと2つの教訓が!

【教訓1】

郷に入れば郷に従え

 

【教訓2】

自分の信念を貫いていれば

生き残っていける

 

田中はテレビ局に言われたとおりの仕事をこれからもやる。学生時代からずっとそういう道を選んできた(笑)