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シーズン1 No7

天龍SWSと週プロの戦い

週プロ1990年5月15日号 No377

ゲスト チュートリアル福田

表紙の上には「メガネスーパーが殴りこみ」

天龍、全日本離脱の大見出しが!

さらにプロはお金である事が証明されたとの辛辣な言葉が続く

 

全日から維新軍が新日に戻り、鶴龍対決をしていた時代。

 

study!フットルース 川田利明サムスン冬木によるタッグチーム 両者共に天龍同盟に所属していた

 

天龍は何故かフットルースを全日正規軍に戻した。天龍は一人ぼっちに・・・

 

study!SWS 1990年メガネスーパーがスポンサーとなって創設された団体

豊富な資金緑茶で各団体から選手を引き抜いた

 

SWSは最初武藤をエースにしようとしていたが失敗。既存のスターを引き抜く作戦で天龍が抜擢された。

天龍も悩んだが、鶴龍対決にも区切りが付き、誰も引き連れて行かない条件でSWS行きを決意した。

しかしSWSには大きな敵が・・・

 

プロレス技その13 ジャイアント・スイング

 

大きな的なとは、新日本でも全日本でも無く、週刊プロレス。編集長のターザン山本は約2〜3年に渡る紙面でのバッシングが始まる。週刊プロレスは当時カリスマ雑誌だったのでファンもSWSから離れて行く。後に、SWSの田中社長から週刊プロレスに取材拒否、それを週プロは表紙の見出しにする。

こんな事が続き遂に、

 

study!SWSは1990年の発足以来 約2年で解散となった

 

当時の週プロは60万部売れて絶大な影響力があった。

天龍はSWSを抜け、WARを立ち上げ新日との対抗戦を行なった。最後は神取とも試合をして神取の顔面を腫れさせた。

SWSの田中社長は大のプロレス好きだったがこの時、プロレスから全撤退した。

当時若手の橋本だけはこの一件(プロレスの村社会)には反対の発言をしていた。

 

【教訓】

人生いつ下火になるかわからない

金持ちとケンカするな